さて、そんなこんなで1日目は過ぎましたが2日目は就活も無く、夕方から友人2名と酒呑みの予定が入っているだけでした☆彡
朝から午後まで何をやってたかってぇと、父と2人で実家にやってきた新参者、プリンターのカラリオ君と対決してました。
悪戦苦闘した結果、この機種は父の求めている機能が発達していないという結論に至り、敢え無く電源off.今度は機械に詳しい兄に相談しましょうね、父母・・・(TT)
そして数ヶ月ぶりの湯船を堪能してからとある交差点へ。本日のぷち同窓会はこれまた中高時代の友人と開かれます。最初は焼き鳥屋へ。美味しい鶏の各部位と各地域のお酒に舌鼓を打ちながら話は止めどなく随所へと飛んでいきました。それからおでんが美味しい呑み処へと河岸を移し、最後に友人を駅まで送って帰宅しました。日付変更線間近です。楽しかった気持ちだけを胸に、私はそうそうにベッドへ潜り込んで次の日を待ちました。
次の日は午後一でセミナーがあったのでゆっくりと起床し、朝食を取った後にお風呂へ入り、身支度を整え次第の出発となりました。セミナーは大阪であり、帰りは特急に乗って寝ながらの帰宅となりました。夕方は東京に帰る用意をしてから晩ご飯を食べ、両親の見送りの元、京都駅へ向かいました。その道中で再確認した事が1つ。私と母は趣味や価値観がズレてる部分を多いに持っています。その為に衝突する事は度々あり、衝突する事自体は別に重要だと考えていない私なんですが、その中で我慢のならない事が1つあります。それは価値観の強要をしてくるところです。あれにしろ、これにしろ、それをしてからこっちをしろ、等々、元々が自分軸で動いてる私には到底我慢ができないところです。そこで再確認した事なんですが・・・母に色々と口出しをさせないために自分の事は自分でさっさとやってしまう癖、そしてその出来栄えにも口出しをさせないために完璧にする(しようとする)癖ができたということです。
ふと昔中学時代に友人に言われた事を思い出しました。「ゆうさんは完璧主義者やもんね」
その時は自分のことを全然そんな風には捉えていなかったので、友人の台詞は意外なものとして私の耳に入ってきました。そしてその時の私は「精神的攻撃をされても傷つかない」人物になりたがっていたのです。だから私は友人がそんな風に感じたのは、私がある意味「傷つかない完璧な人」を目指していたことを(話してはいなかったけれども)感じ取っていたのだろう、と考えていました。でも、それはどうやら早計だったようです。数年後の今になって、ようやくその友人が感じ取っていた私の性質を私自身が認知するに至りました。驚きです。自分の長所でもあり、同時に制御が難しく手こずっている部分が、実はウマの合わない親の影響で発達して根付いていたという事実に軽くショックです。そして、複雑です。
・・・複雑です。