最近、変わったなーと思う自分の一面がある。
「時間が解決することもある」
「水に流す」
この2つがとても近い感覚で、嫌なことがあった後でも、鬱々とする時間が短くなったように思う。
厳密に言えば、「毎日どんどん増えていく新しい記憶の川が、嫌な思い出をちょっとずつ押し流していく。それが完全に見えなくなるまで、しばらく待っていよう…」という考え。
それって解決はしてないよね、と突っ込まれるとグゥの音も出ないんだが、何かもう、色々と忘れ去っていきたい年頃になってきたwww
どんなに根深い想いでも、新たに降り積もる記憶の山に埋ずめて、見えなくすることはできるんだ・・・というのを学んだのが大きいかもしれない。
埋めた部分に割り箸で墓標を立て、手を合わせる。掘り返そうと思えばいつでも掘り返せる。きっとそうすれば、思い出はあの頃のまま、鮮やかに、生温く、蘇るだろう。でも掘り返さなかったら、見ないでいられる。感情は波立たないまま、新たな月日に自分を投じていられる。そういうことを経験した10年だったような気がする。
それが最善とも思えないし、何が最善とも思えないけど、今の自分はこんななんだなーと自覚するようになった。
果たしてこれは自分への手抜きなのか、労わりなのか・・・。
考えること自体は相変わらず好きだけど、他人と考えをぶつけ合うには少々お疲れモード、という事実も否めない。場合によっちゃ、電話でコッチの要望を相手に承諾させるやり取りにも引け腰だ。この点のバトル全開モードは10代で使い果たしてしまったかもしれない。
この変化が将来的にプラスなのかマイナスなのかは分からないけど、人は変化していくもんなんだなーと改めて実感する。
『ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず・・・』
ひとまず、時間という川にボケーっと浮き流されてみようかな・・・。
自分の変化した部分 @ゆう
- 2013年8月16日
- ゆうの道のり
- 0件