ゆうと同棲を決めたのは付き合ってから半年のことだった。東京と千葉という距離的には近い距離にはいたけれど、電車だと2時間かかるのでほとんど遠距離恋愛に近い。
ゆうと付き合う前、オレはある人と遠距離恋愛してた。場所で言うと仙台と神奈川。お互い学生で会うことはほとんどなく、メールや電話を利用して会話していた。
オレ的には満足は満足だったのだけど、会いたいときに会えない、触れ合いたくても触れ合えないその状態がもしかするとダメだったのかもしれない。その付き合いは2年間続いたあと、突然終わった。
なぜ別れたのか理由はいまだに分かってはいないけれど、きっとオレによくないところがあったんだろうと思う。
遠距離恋愛はその名の通り距離が遠い恋愛。それだけと言ったらそれだけなのだけど、実際にやってみると実はそれだけじゃない。だから何も知らない人が昭和の言葉なんて言うのは言語道断。たまたま見つけて読んでみたのだけどどう見ても「はぁ?」としか言いようがない。っていうか言ってるもの全部お金が必要なのだけど。お金さえあればなんとでもなると言うのかな?
…だとしたらそれは恋愛とはちょと違うと思われるので脳の中にインプットしてある恋愛項目の意味を書き換えといた方がいいと思われます。
そういえばこんなことを言ってた人もいた。
「付き合ってた人とは隣駅で距離近かったけど、3ヶ月会ってなくても別になんともないよ。遠距離もそんなもんじゃないの?」
まだオレがゆうの前の子と遠距離してたときに言われた台詞。あのときはうまく説明できなかったけど、今考えるとやっぱりそういうことと遠距離恋愛は違う。
近い距離にいると人って安心する部分があると思うんだ。母親にしろ彼女にしろ親友にしろ、なんでもね。近いから、いつでも会えるから、だからあとでもいいって思ってしまう部分があると思う。
親友関係なら別にいいけど、恋愛の場合は違う。会いたい気持ちがなくなってるのに恋愛と言えるのかな?ドキドキも緊張も喜びもなくなったのを恋愛と言えるのならば、それはもう馴れ合いの付き合いに近いんじゃないのかな。
オレが前の子に別れを告げられた頃はホント、空気みたいに安心出来る状態だった。オレはここまで仲良くなれたんだと理解してたけど、本当は違ったのかもしれない。何かしらのアクションを取らなければいけなかったのかもしれない。まぁ、想像なんだけどね。
恋愛に関する考えってのは幅広くておもしろくて。だからオレは恋愛話は聞くのは好きなのだけど、理想や想像だけで固めた考えというのはよくないね。そう思った。
オレは遠距離恋愛を昭和の言葉などとは言わない。古いとも思わない。ただ単に好き好んでしたいとはもう思わないだけ。社会人1年目でお金はかなり厳しかったけど、でもそれでも同棲を決意してよかったとオレは今も変わらず思ってます。