東京は朝から小雨が降っています。でも寒い!(><)ってほどではありません。春めいてきました(^^)皆さんのところはいかがでしょう。 さてさて、本日は昨日のきぃさんの日記の中に一箇所気になる部分があったので、それについて話そうと思います。
その気になった部分は、ココです↓↓
>>何も出来ない自分。ただただ悲しかった。
私はここを読んだ瞬間、
「え~~~~~????」
と言いました。(笑)きぃさんにクレームをつけまくり、最後には過ちを認めさせたこの一言、私にとっては疎かにはできないポイントです。
というのもこの台詞、どういう意味で書いたのかをきぃさんに質問したところ、
①私に長いこと看護をさせてしまった
②自分の体力低下を自覚して情けいとか思ってた
とかとか、要するにそういう心情の吐露であることが解りました。申し訳なさと情けなさが大きかったんですね。その気持ちの流れは理解できます。できますが、これはやっぱり「え~~~~。」です。
だって私は好意でやったんです。無添加無着色の好意120%.
看護をしてお金をもらえるわけでもなく、食べ物をくれるわけでもなく(ぉぃ)、そういった物的な見返りが無い状態で手間ひまかけてやるんです。この面倒くさがりぃで天気屋で自己中な私が。これは好意以外の何者でもないでしょう。
・・・で、ここからは私の考えになりますが、
好意を源泉とする行動も苦労は苦労なんです。オブラートに包めば「苦労を伴う」んです。(あれ?包めてない?)
骨をおって、手間ひまかけて、努力します。(このブログみたいに。/ぇ)
そしてそれらは総じて身体的疲労に繋がるのです。
でもそれは吹っ飛ぶんです。
私の場合、私が好意を持って労力を割いた先にその人のホッとした笑顔があったり、喜びに溢れた笑顔があったり、照れ笑いがあったりしたら、それでもう苦労は吹っ飛ぶんです。万事がOKなんです。更に好意とやる気は育ちます。
でもその先に見たものが申し訳なさそうな顔だったり、落ち込んだ言葉だったりしたら、この身体的疲労は昇華されずに私の体の中を彷徨います。蓄積します。その人へ向ける好意は昇華されないと学習し、その人への好意は、イコール重荷になると判断し・・・結果、好意が萎えます。その積み重ねは友人然り、家族然り、きぃさん然り、のちのちに由々しき事態を引き起こす可能性を含んでます。だから今回、私はきぃさんに遠慮なく
「え~~~???」と言いました(笑)友達にせよ、家族にせよ、相方にせよ、付き合ってく人とは楽しい・嬉しい・喜ばしい気持ちでやっていきたいと思う私。だから私へのご褒美は「ありがとう」がbestで「ごめんなさい」がbetterだと思っといてください(笑)(勝手だなぁ)
(注:両方の言葉を同時に貰うことも受付けてますけど、その場合も最後にはやっぱり「ありがとう」が好いです^^)
蛇足:世の中にはそうじゃない人(逆の考えだったりまた違う考えだったりする人)もけっこういらっしゃるので、そこはそこで人付き合いって難しいなぁ・・・と考え込んだり、人間って色々だねぇ・・・と面白がったりするところです^^;