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愛する人の死。 @きぃ

「相手がもし死んでしまったら?」という仮定問題に対してゆうが考えてるようなのでオレも一緒に考えてみることにする。


“相手がもし死んでしまったら”
オレはゆうを一生大事にしたいと誓ってるし、今後の一生をゆうに捧げてもいいとは思ってはいるけれど、もしゆうが死んでもなんとかやってけるだろうなと思ってます。
だって、どれだけ大切なものを失っても人間やってける。ばあちゃんが死んだときがそうだったように。いつの間にか忘れて、いつの間にか日々を過ごしてる。人間そういうもん。
 
もちろん死んだときのショックは計り知れない。別れを想像するだけで涙が出たこともあるのに、死んでしまったらなんて話にならないだろうと思う。ならないとは思うけど、なんとなくだけどオレはなんとか生きていく自信がある。…なぜか。
 
それは子供の存在。
 
でも問題があった。ゆうは血にこだわりがない。
なんで自分の子供って限定するのかと不公平さをまず説き、親の居ない子供を引き取ればいいと最初オレに言い出したんだ。でもオレも引き下がらない。自分の子供だから愛情を注ぐことが出来るし、2人の子供だから何かあったとしても生きていけるだろうと言い返した。
今では「じゃあ子供は1人は必要だね」ってことで一応おさまってはいるけど、この結論に達するまで数ヶ月話してた気がする。
オレにとっては当たり前だと思ってることがなぜか対立してしまう。夫婦にとって価値観の違いが離婚に繋がる理由が分かった瞬間だった。
 
子供はオレにとって保険のイメージがある。ゆうがいなくなったときの精神安定剤。何か起きたとしても子供がいるから平静を保とうと頑張るだろうし、ゆうと血が繋がってるからゆうと同じように愛情を注ぐだろうと想像する。
なんとかやってけるだろうと思う理由はそれだけじゃない。一番は何らかの事故で死んでしまったゆうに心配をかけないように、オレは精一杯生きると思うんだ。もちろん精神的に参るかもしれないけど…でも、元気で頑張ってる姿と元気に成長する子供を見せるように頑張ると思うんだ。
  
死んでしまったらなどという想像は、したくない。どんな重い病気になったとしても簡単に死なせはしない。けど、“もしも”はいつ来るか分からないから…考えて、考えて。1日1日を大切にしたいなと思う。