こないだ携帯のメルアドを変更したから、そのお知らせ通知を各所に送ってたら、その返事で次々とビックリなことが判明した。
その中で最も大きかった2つが、友人の出産と後輩たちの妊娠&結婚。
友人の方は妊娠してたこと自体、以前教えてもらってたんやけど、それが産まれたって聞いて「え?!もう?!!」と驚いてしまった^^; いやはや、無事の出産おめでとー!!(≧▽≦)んめでたい!!!
後輩たちの方は寝耳に水だったから衝撃を受けた^^; 大学時代の元バイト仲間で、お嬢が3人いるんだけど、うち2人が妊娠発覚、残る1人が結婚報告・・・。いやー出会った頃は皆10代だったからかなー、何だかお父さん、娘を嫁にやる気分だよ(T△T)ノシ嬉しいやら淋しいやら・・・。
お祝いしようにも遠いから行けないしね!><; ココでめいっぱい叫んでやる!!おめでとー!!!
なんだかなー。。。
子供を育てるまではコレっぽっちも考えつかなかった発想なんやけど、最近、誰かが子供を妊娠したー出産したーとか聞いたら(ぁ、今回出産した友人はノーカウントで^^; だって3人目のベテランママだし笑)、あの子も大人になったなぁ・・・と思うようになった><;
これが良いのか悪いのか分からんけど、感覚が妊娠前と変わったのは確かだなぁ。(他意の無い発言なんだけど、これでもし気を悪くした人がいたらゴメンなさいm(_ _;)m悪意とか見下し優越感とかでは無いです><;)
なんと言うか・・・「親」って世間的にはまだ子供の年齢の10代でもなろうと思えばなれるんやけど、「親」=「社会への責任発生」みたいな感想が、今現在子育てしている自分にはあって、「社会への責任発生」=「例え年齢的には子供の10代であってもその責任を負う限りは大人」というような図式が私の中では成り立っている。
「社会への責任発生」っていうのは、群れて暮らすのが基本行動の大人の人間社会に、動物的本能でしか動けない幼児たちをキチンと送り出す、いわば「子供を社会的に生きていける子に育てる義務」みたいなものくらいに思っといてくれるといいのかも。この点を突っ込んで考えると補足修正とか異論も出てくると思うけど、今回話したいポイントはソコではないから細かいことは一旦脇に置いといて^^;
そいで、世間的には大人の年齢の30代、40代であっても、社会への責任が発生してない人は基本的に、自分自身のために、あるいは恋人、はたまた友人、家族のために生きてることがほとんどだと思うわけだ。現に自分自身がそうだったからね。(ここでも誤解してほしくないのは、今はそれが良いか悪いかという話をしてるわけじゃなく、そもそもそういう事に良いも悪いも無くって、ただ自然とそうなんだ、って観点で話をしてるだけだから!一部例外はさておき^^;)そうすると、その状況の人はどんなけファンタジーな世界にいても別に問題がないわけだ。フワフワしてようが、現実からかけ離れた何がしかの理想を持ってようが、理論的に、または合理的に生きてようが、本当に本人の自由。
でも、子どもを持つとそれが制限されて、否応なしに現実の、我慢と忍耐が心の友になってしまいそうな道を歩くことになる。だから友人諸氏から「妊娠したよーw」「赤ちゃん産まれたよーw」と聞くと、「ついにあの子も責任と苦労を背負って歩く大人」になったんだなぁ・・・と思うわけだ。茨の道に踏み入ったな・・・と(==;)
ぁ、でもこんな風に書くとまるで子どもを持つことが全然楽しくないかのように聞こえるな(笑)けっしてそういうわけでは無いんだが、そういう一面もあるんだよw と話半分に聞いといてくれると有りがたい(笑)子ども好きな人は嬉々として子育てしてるだろーからね!こんなに何だかんだ言っても乳幼児のぷにっとした丸い頬とお尻は触り心地最高とか思ってるからね!!
大人になったなぁと感じる時 @ゆう
- 2013年1月12日
- 日々徒然@ゆう
- 0件